統合失調症のドキュメンタリー
統合失調症を患った方とその家族のドキュメンタリー。
父・母が医学者・研究者で、その娘が統合失調症を発症する。
その娘の叫びを、弟が記録している場面から始まる。
そして日々の記録を残すという構成。
物語の印象が劇的に変わるのは精神病院の入院から。
そして姉が亡くなるまでの記録とその後残された家族へのインタビューという内容。
私が感じたこと。
- 罹患者の姉が、私と同じように頭に映像や声、何かを感じ取ったりしているように伺えたこと。
- 上映会後の座談会でも話した内容だが、優秀なという観念が強いのではないか?姉の言葉が発言すると切れるような印象が残っていた。そこから家族に恥という観念があるように感じ、言うなれば評価の中で生きている。その印象を強く感じていた。
- 精神病院入院後の姉の感情に素直に、また数年後のおとぼけの行動を見ると、私自身感情を発言することで地域社会に受け入れられていた部分とが重なり、温かみと感動を覚えた。そしてよくそんな独り言を言う人間を寛容にみてくれていたと、そう対応していてくれていた方々の成熟した大人の感覚、見守りにありがたさを感じた。
視聴後の座談会(2025年08月24日)
映画の内容について疑問点やそのように制作されているのではないか?と行った視点を大切にしたいと思いながら参加。
私自身は集まった方と話をすることで、
自身が統合失調症について他人に説明できるほど知ってはいない点。
映画を見て、藤野家の方がそれぞれなんとかやっているのだという視点の大切な点。
また私が統合失調症で予後が良かった点は精神科の受診が早かったこと。
実家の近くのお地蔵様のお参りなどで形成できていた『ある型』が体にできていたことが、周囲の方の私への共感の土台になっていたのではという視点。
また周囲の暖かな方達の支援があったからだということを共有した。
また、座談会に出席された方達のそれぞれの視点が新鮮で温かみがあった。
映画の疑問点を話し合ったり、またそれぞれの価値観などに触れることができ、有意義だった。
最後に座談会の対話ルールを最後に挙げておく。
- 発言者を否定することをしない。
- 発言者の話を最後まで聞く。
- 最終的に納得しあええなくても、共通して理解できることを探す。
このルールに触れたことも新鮮だった。

